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2014年11月 3日 (月)

泉大津市について学ぶ その1

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小学校低学年で生まれた市町村について学びます。しかし大人になって引っ越してきた場所の地理や歴史は学びません。そのためか、既に20年以上住んでいる泉大津について詳しい事がわからない状況であり、打破せねばなりません。

 

出生地の呉市は歴史が浅く、数少ない史実は平清盛が船の運航に邪魔だった陸峡を運河(海峡)にしてしまった「音戸の瀬戸」位です。邪魔物扱いでした(笑)その呉市が大きな都市になったのは造船所と軍港か作られた近代です。世界最大級の船を作ることができる呉の造船所は、戦艦大和を作り世界最大級のタンカーを造ってきました。また海軍が無くなった後でも海上自衛隊の大きな基地があります。造船は高度成長期終焉とともに海外に仕事を奪われ倒産の危機となります。私が学習したのはこの頃までで、大学と就職のため呉を飛び出してしまいました。その後、呉のIHIは高品質の船を作る事で復活します。また呉市は近くの自治体を合併して大きくなりました。呉と広島の間にはバイパスができ、バスで便利に行き来できるようになった一方、呉から西の三原まで、JRの本数が激減、軽い陸の孤島に近くなっています。牡蠣の産地ですし、景観が美しい魅力的な場所ですけどね。

 

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このように、呉についてはいくらでも書くことができます。それこそ本にできそうなほど。一方で泉大津や大阪については詳しくありませんので少し勉強して見ます。大阪や堺は歴史が長く、特に堺の古墳群は文字が無い時代における世界クラスの巨大遺跡です。文字が無いという事は数字もなかったわけですが、文字と数字と設計図なしにあの巨大古墳を美しい前方後円に作り上げる技術は驚きますね。図面位はあったかもしれませんが、数字(寸法)がないのですから難易度は同じです。おっと、今は堺の話ではなく、泉大津の話です。市のサイズとしては小さいのですが、かつては日本最大の繊維の町でした。今でも繊維にかかわる町工場はたくさん残っています。ゆるきゃらは羊ですし、マンホールにも羊、駅前にも羊の銅像です。しかし海外に仕事を奪われ、繊維業は細々と続いている程度になりました。海沿いからJR阪和線までは大阪の住宅街ですが、海沿いの紀州街道沿いには古い大きな屋敷やお寺が威厳を誇っています。また浜寺から続く高級住宅街として、大阪で働くお金持ちの家が少なくありません。

 

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泉大津は小さな町ですから東に行くとすぐに和泉市になってしまいますが、JR阪和線を超えて少し行くと泉州の農業地帯に変わります。泉大津は瀬戸内海性気候で、驚くほどに雨が降りません。そのため溜め池の数は尋常ではなくて、子供たちの水没事故も少なくありません。これは泉大津に限ったことではなく、堺のあたりから和歌山近くまで続く泉州全体がため池だらけなのです。雨が少ないのと同時に大阪の農業地域として昔から栄えていたことがわかります。繊維業が発達するためにも雨の少なさ、湿度の低さは重要です。泉大津に繊維業が流行ったのは気候のせいだったとも考えられます。イギリス中部と同じですね。瀬戸内海に栄えた塩田も同じ理由でしょう。また泉大津には弥生時代からの遺跡があります。雨が少ないけれども穏やかな海では魚が採れます。「弥生時代の」古墳というところがポイントで、すでに農業が始まっていたのでしょう。多少の干ばつはあったかもしれませんが平野が広がり、豪雨や台風の少ない気候だったので「弥生時代以降は」とても住みやすい場所だったのではないでしょうか。ただし海からの外的に弱い地理であり逃げ場がなく、朝鮮半島との争いが勃発したと思われる古墳時代以降、人々は大阪や奈良に移動していったのではないでしょうか。

 

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さて大阪の気質について考えてみます。

 

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