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2014年11月18日 (火)

歴史を少し正しく理解する 関ヶ原の戦い

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日本の歴史で最も有名といっていい戦国時代を終焉に導いた戦い、関ヶ原。私たち戦国小説好きは織田信長から読み始めるのですが、多くの武将が関ヶ原の前に死亡してしまうため、関ヶ原についてはあまり詳しく知りません。また多くの読者同様、徳川家康が嫌いなので徳川が勝った関ヶ原に興味がでません。しかも戦前と戦後の泥沼戦略が複雑すぎて理解できない。関ヶ原では一体誰と誰が戦ったのか。

 

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徳川と豊臣代理人との戦争、豊臣の敗戦は嫌われ者 石田光成の人望にあったという印象です。しかし広大な関ヶ原、両軍16万を超える軍勢がわずか一日で勝敗を決めたのはなぜか。一向一揆などが10年を超えたことを考えれば超高速の戦闘です。しかも小早川の裏切りなどがあり、入り乱れた両軍は区別がついたのでしょうか。

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事の発端は豊臣秀吉が死亡した後の内紛です。彼の死後から2年間、関ヶ原に至るにはどろどろとした策略が渦巻き、平成の政治を見ているようで興味がわきません。石田光成は今で言えば官房長官で、徳川家康は軍隊の長、その軍隊がクーデターを起こしたと言えば分りやすいですね。それでは小早川はなぜ豊臣を裏切ったのか。小早川は秀吉の養子でした。それなのに小早川を名乗っているわけですから、まずここに確執があったのではないでしょうか。そして彼は無類の石田光成嫌い。官僚に鼻であしらわれる元養子、裏切りは当たり前のような気がしますね。

 

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そもそも豊臣が陣頭指揮に立っていないことから、敗戦は目に見えています。西軍と東軍が同じ士気を持っていれば明らかに西軍が勝ちという布陣でしたので、やはり石田光成の人望が敗戦の理由でしょうね。この人数、広大な関ヶ原、戦闘開始後数時間で西軍が負けたと戦闘の最前線はどのように理解したのか、西軍全体に「逃げろ」という伝達さえも8万人に口伝で伝えるのは難しい。最初から戦闘する気はない、逃げ腰だったのではないかと疑ってしまいます。

 

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