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2014年11月12日 (水)

歴史を少し正しく理解する 一向一揆

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「完璧に理解する」わけではありません。間違いが沢山あります。単に自分の大きな認識間違いを少し直すための「自習時間」です。

まずは歴史が嫌いだった私が学生時代の授業で持ってしまった一向一揆の印象は、宗教心が強い農民が戦国武将の悪政に耐えかねて鍬をもって突進し、武士に切られて討死。しかし農民は人数が多いので長引いた。歴史に詳しい方が見ればきっと頭を抱えて落胆する説明ですね。私が悪いのではなく教科書と授業の説明が悪い(笑)

 

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一向一揆の規模を確認してみました。時期としては1466年応仁の乱の頃から1580年ころまで行われた宗教戦争で戦国時代の中でも有数の大決戦です。中でも90年続いた加賀の一向一揆や織田信長と本願寺、顕如を中心とした対立が起きた石山合戦は立派な宗教戦争です。今回はその中でも石山合戦に注目してみました。なぜ大阪城が今の位置に作られたのか、刀狩の本意は何だったのか、織田信長が浅井、朝倉を滅ぼしたのはなぜだったのか。この辺りが一向一揆を調べてみる事で見えてきます。

 

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一向一揆は高度な情報戦争です。戦国時代、織田信長は多くの武将を倒していますが、それは天下統一が目的と考えられています。間違いではないのですが、敵対相手として日本を抑えていた巨大な宗教勢力である「本願寺」を理解しないと全体像が見えません。ここでイスラム国の話を持ち出すと不埒ですが、わかりやすいので引用させていただきます。イスラム国も当然イスラム教を強く信じる宗教団体です。イスラムの教えに妥協を許さないので過激な行動に見えますが、イスラム教徒から見れば理解できることもあるはずです。仏教はイスラム教と比較すれば攻撃的ではありませんが、それでもやはり派閥争いを繰り広げています。戦国時代に強大な勢力を持っていたのが本願寺です。この時期、鉄砲を大量に供給していた根来衆など寺院の僧兵は強大な勢力で、建屋も今のようなオープンなお寺ではなく城郭でした。織田信長のような軍事政権は給料、ボーナス、財産(土地)分与によるビジネスライクな上下関係でした。よりよい給与をもらえるところにヘッドハントされる武士も少なくはなくて、事実、裏切り、寝返りなどは戦国時代に頻発しました。しかし宗教団体は宗教で結ばれています。裏切りは少なく狂信的に攻撃します。しかも戦国武将までもが宗教を信じるようになり、寺院は強い財政力を持つので武家のように経済的にも武将を取り込み始めます。それが浅井であり、朝倉でした。しかも武田、上杉、そして村上水軍を有する毛利までもが本願寺側でしたので織田信長の戦線は拡大します。織田信長が宗教的な国家ではなく商業的な国家を目指していたことは容易に想像できます。楽市楽座など、考え方として現在の資本主義社会に近いのです。キリスト教を取り入れようとしたことから見ても、今の資本主義経済とイスラム勢力との争いに似ているような気がするのです。

 

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本願寺は現在、京都駅の近くにあります。西本願寺と東本願寺に分裂しています。しかしもともと本願寺は大阪の石山にありました。具体的に言えば今は大阪城の地下に埋まっています。豊臣秀吉が大阪城を築いたのは彼が大阪好きだったわけではなく、本願寺の要塞が転用できたことと象徴的に本願寺を押しつぶした「太閤秀吉政権」の軍事的本陣という意味があったのでしょう。大阪城は本願寺より2割程度大きいらしく「踏み潰している」印象です。事実、豊臣秀吉は京都にいる事が多く京都好きと考えており大阪城は本願寺に打ち込んだ杭にすぎないのです。本願寺の本拠地はそれほど巨大な本陣であり、1万人の兵力で籠城し、信長と10年にわたって戦争をすることができたのです。この戦争が単に軍事的な戦争ではなく、策略が渦巻く過激な情報戦、策略戦だったようです。農民が鍬をもって「わーっ」と押し寄せる印象とは私の印象とは全く異なりますね。絶対に歴史の授業が悪い(笑)

 

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