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2014年7月25日 (金)

主体的と反応的

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先日、コンビニから車が出てきたので道を譲りました。車の中から手で「どうぞ」と示しました。しかし相手のドライバーは怒り、悪態をついて急発進して去っていきました。

「反応的」であれば私も反応して怒り、下手をすれば追いかけていたかもしれません。若いころに極端に反応的で、実際にそんなことをした記憶さえあります…反省。しかし怒ったときの「嫌な思い」は自分の中に残るだけで、そのドライバーとはまず二度と出会いません。結局怒っているだけ私だけが損をするだけで、「こんな復讐をすればよかった」なんて考えているだけ時間の無駄、気持ちがすさむだけです。どんなに怒っても二度と出会わない彼の行動は変えられませんし、怒っているので不注意な事故をしたり、仕事の最中も怒りに支配されたり、同僚に怒りが伝染したりするかもしれません。

最近「主観的になる」という訓練をしています。習慣にしたいと努力している最中です。この時もまず怒りを抑える事ができましたし、その時すぐに自分をほめることにしました。客観的に見て素晴らしい行動だと感じたからです。

彼はコンビニで嫌なことがあったのかもしれません。多分私に対して怒っているのではなく、運転前から怒っていてその流れから悪態をついたのだろとわかりました。つまり彼にとって私への怒りは「ついで」であり、私に対して怒っているわけではなかったのでしょう。彼は私に怒ったことなどすでに忘れているでしょうし、それどころか私に対して怒っていたという認識さえないかもしれません。彼の一瞬の表情と言動だけで私が起こること自体、少ない状況への間違った反応でしょう(本能的ですが)。

車の運転は瞬間で動いているため本能が出てしまいます。そのようなときでも「反応しない」という選択は自分が決めた意志であり、結果として怒りを引きずることなく、安全雨天ができましたし、その日の仕事をいつものように気持ちよく始めることができました。無駄な怒りで自分の貴重な時間を無駄にしませんでした。

私は文章に英語を使うのは嫌いですが、自分で考えるとき英語にしてみるとわかりやすくなる時があります。Pro-act (主体的)は自分から行動する、率先して行う、「自分が主体」です。Re-act (反応的)はすでにある行動に対する反応であり、「他人の見た目」からの連鎖反応です。悪い連鎖反応を断ち切ることができるのは自分だけです。それいじょうにそもそも自分の反応自体が多くの場合「間違えている」事に気が付きました。

主体的になるのはそれほど難しいことではないけども、継続してくせにしていかないとすぐにわすれそうです。

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