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2013年12月17日 (火)

キャベツの使い回し

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これは非常に難しい問題です。まず純粋にキャベツの使い回しの衛生的問題点を考えてみます。何か問題はありますか?

 

正直なところ何も思いつきません。見ず知らずの調理人が調理しており、その時の衛生状態が完璧だったかと言えば悩むところです。その後、知らない人の前に出て戻ってきたキャベツを再利用しても衛生上の大きな変化はなく、どちらかといえば「環境に良い」としか考えられないのです。原則から言えば、注文した料理に添えられていたキャベツはすべて食べるのが客としてのマナーです。食べ残した大量のキャベツをただ捨てるのは農家の方に対して失礼です。

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個人的には「水で洗ってくれれば」全く問題ありません。食事中に他の料理の油などが飛んでいる可能性もありますから、水洗いはしてほしいです。しかし一般論は「穢れている」と感じるのでしょう。この「穢れ」という概念は日本人だけの間隔ではありませんが、日本人にも強くあります。事実イスラム教やヒンドゥー教では日本以上に厳格です。これらの人たちに食材の使い回しをしていれば宗教戦争にさえなりかねません。日本の場合は宗教的な理由ではなく、「穢れ」という遺伝子にしみこんでいる感覚から許せないのでしょう。

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子供たちは残酷です。広島の子供たちは「エンガチョ」なんて言っていましたが、穢れに対して縁を切る、これが差別やいじめとなっていました。穢れは汚れと大きく異なります。キャベツの場合、人の前に出た瞬間に「穢れる」のです。料理人がどんなに汚い手や包丁で調理していてもそれは汚れるであって穢れてないのです。つまりキャベツは汚れておらず、少ししなびた程度です。問題は単に穢れているだけであり、多くの人が穢れを嫌うのです。

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難しい問題だと思います。世界の食糧事情を考えれば、使い回しを嫌っている人が一方で地球環境などと言うと腹が立ちます(笑)一貫性の問題です。事実、新聞社でこの話題をニュースにする時でも二極に分かれたそうです。問題ない、環境に良いから積極的に使いまわすべきだという人もいれば穢れているという人もいます。結局、正解のない議論ですが、私は「水洗いだけしてくれればOK」派です。

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