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2013年12月 4日 (水)

死後の世界 その2

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前回の続きです。

 

私たちの体の周りには目に見えない記憶を格納する「記憶場」があると想定しました。人が死んだとき、人間の体=物体はその場を引き留めることができなくなるのではないでしょうか。臨死体験をした人は空に昇る、光が見えるという体験をするそうです。死後の世界を考える前にもう一つ生きているときの話をします。なぜ個人ごとの記憶場は混戦しないのか。近くにいる家族の記憶でさえも私たちは読み取ることができません。つまりこの「場」はパラレルワールドにあるのかもしれませんし、数ミクロンという薄い層なのかもしれません。

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臨死体験をした人は正確に死後の光景を記憶しています。なぜ記憶をつかさどる「場」は体を離れても視覚や聴覚の能力を持っているのでしょうか。病室の中が見える、音が聞こえる、空に昇って地上を見渡すことができる。記憶領域は残っているから記憶が残るのは問題ないとして、目も耳もないのになぜ見たり聞こえたりできるのか。考えてみてください、私たちの脳の中に目や耳があるわけではありません。光波や音波が信号に変えられ脳に届いているのです。つまり音や光も波動であり、体を離れてしまえば記憶領域に書き込むことができる。つまり見ることも聞くこともできるのです。一方で味覚や触覚など波動とはならないので感じられない。

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臨死体験でよく聞くことができるのは、死んだ親族に会うという話です。つまりこの「場」は人間の形を保ちながらさまようことができる、そして眼球を失った場は電気信号に近い別の人の場、つまり過去に死んだ人の「場」を感じることができるのではないでしょうか。つまり生物の場はもしかすると寿命を持たず(もしくは人の寿命よりはるかに長く)形を崩さずに存在できるのではないか。

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さてそれではいつまでこの場は私たちの周りにとどまることができるのでしょうか。寿命はないのでしょうか。そして天国はあるのでしょうか。続きます。

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コメント

とても興味深いです。死後の世界をじっくり考えてもいないし、臨死体験とも考えていませんでした
が…そういえば解離して彷徨っていると、亡くなった親族と多々会いますね。
みんな口を揃えて「帰りなさい」と言います。川もお花畑もありませんが…
意識がしっかりしてから、「ああ、あの人はもう亡くなっているんだった。」と思います。

ひまわりさんに下手なことは言えないのですが…
いくつか考えられることは生き急ぐことも死に急ぐこともない、時間は連続するものだという事でしょうか。私は医者でないので冗談と思っていただいていいのですが、解離という症状は多くの人の意識の混線だと思うのです。ここで人とは他人ではなく、階層になった自分なのではないかと。それ以上の事は想像できないのですが、医学的な脳内の電気信号や化学物質だけでは理解が難しく、針やマッサージに効果があるという体験には納得できます。

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