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2013年8月14日 (水)

核兵器は絶対悪なのか

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86日に書いています。広島出身者として86日は核兵器の廃絶を訴える役割を持っていると考えています。

 

ただ今年は単純に「悪」と決めつけるのではなく少し考えてみたい、背景には原発事故もあります。ただ先に言っておけば核兵器は絶対悪という結論に揺るぎはありません。そもそも人間はなぜ争うのか。一つは進化のために与えられた機能で、強い人間が残り進化を続けるようになっているのでしょう。なぜこのような機能が人間…いえ、生物に備え付けられたのか不思議ではあります。宗教的な話になりかねませんが、ここは「本能」という単純な言葉で乗り切ります。

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人間の問題は武器を持ったことです。アメリカでは銃が今でも正当化されています。この問題はアメリカ内部で議論してもらうとして、たとえ人間が戦うという本能があったとしても問題は大量殺りく兵器にあります。これは人間の本能ではなく、知能、つまり戦略が加わった結果です。マシンガンや手りゅう弾はまだ局地的なものでしたが、化学兵器や核兵器は無差別にエリア全体を崩壊させます。核爆弾は第二次世界大戦を最後に使われていませんが、現在は劣化ウラン弾や威力の弱い「使える核兵器」の開発が進んでいます。同様に化学兵器がシリアで使われたというニュースも流れました。

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そんなニュースを聞きながら感じるのは、「核兵器だけ」で議論するのではなく、大量殺りく兵器全体で廃絶を訴えたほうが筋道として正しいのではないかという事です。確かに核兵器は冷戦時代に大量に作られ地球を何度でも滅ぼせるほどの威力を持ちましたが、その一方で抑止力が働き使えない兵器となっています。その一方で大量殺りく兵器は現在でもつかわれ続け、何千人という方が毎年命を落としています。本来は「武器全部」と考えるべきですが、確かに自己防衛的な「正当化」ができる事も確かですので、大量殺りく兵器、つまり一つの引き金で複数の人を殺りくできる兵器全般を絶対悪として廃絶する必要があるように感じています。ただし重要なのは過去の善悪を問わない事です。広島に落とされた原爆は悪であり、個人的な恨みを持つことは感情ですからぬぐえないとしても、兵器の廃絶を考える時に過去の善悪を話題に出すと変えられない過去に無駄な時間やコストがかかり本質的な問題の解決が遅れると考えています。

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一方で核エネルギーですが、将来にわたって大切なエネルギーであることは間違いありません。広島でも核兵器と核エネルギーは別に考えるという風潮が広がってきました。しかし福島やチェルノブイリを見てみれば、事故は起こる、事故が起こったときの復旧策がない、影響範囲が広すぎることは間違いありません。核からエネルギーを引き出すことは成功しているかもしれませんが、事故対策まで含めた技術の確立は「途上にある」と考えてよさそうであり、現時点での核エネルギーの拡大には疑問があり、立ち止まって考えるべきとも感じています。

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