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2013年4月11日 (木)

神武天皇の東征

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さてオオクニヌシとの戦いを「天下分け目」と書きましたが違うのかもしれません。

私は個人的に国譲りとイハレビコ(後の神武天皇)の東征のどちらが先かよくわからないのです。もちろん古事記も日本書紀も順番は明確なのですが。ただ事実の順番より重要なことは「神格化」です。天孫降臨が最初でなければいけないことは確かです。

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イハレビコが奈良の地に入るまでものすごく苦労しており、決して強力な軍隊とは感じられません。怒られることを恐れず、今は素直にこの「東征」を考えてみましょう。高千穂から「逃げるように」移動してきた天皇家は和歌山県の熊野に入り、さらに苦労しながら奈良にまで至ります。かなり弱い。剣、つまり鉄の剣がなければ負けていたかもしれません。

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この東征は素直に考えればこれは「敗走」だったのではないか、朝鮮半島からの圧力からの逃避ではなかったかと考えられるのです。ここには本当に気楽には考察できないタブーがあります。ただ「年代が合わない」、もし東征が先にあり、たとえば強大な勢力を持っていたと考えられる仁徳の時代に「国譲り」があったのであれば納得できますが、逆なのです。

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ただ天皇家が九州からきて奈良に住みついたことは世の中が騒いでいるほどの謎ではなく、真実ではなかったかと考えるのですがどうでしょうか。言葉がないから技術がないとは考えられません。日本にはすでに船舶技術があったと考えてもおかしくありません。あの巨大な古墳が船舶技術なしに作られたとは思いづらいからです。船舶があれば民族の大移動は無理ではなかったはずです。

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