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2013年4月19日 (金)

国譲りについて考えてみる

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本当に「国譲り」なんて行動が起こったのか、勝手に冷静に考えてみます。史実には基づきませんので悪いジョークだと思っておつきあいください。

まず古事記の記述を年代順にまとめてみましょう。(1)アマテラスから使わされたニニギに出雲の「大国主命」は国を譲る。出雲大社を作る約束を交わす。いわゆる「天孫降臨」と「国譲り」(2)神武が九州から奈良に入る。この時点で関西の地元豪族との実力は拮抗している。(3)垂仁天皇が出雲大社を建てる。

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個人的には「天孫降臨」は事実ではないと感じています。あ、神様を全否定しているわけではないですよ。ヤマトと出雲の戦争がこんなにはやくは起こっていないという意味です。オオクニヌシは出雲の実在の豪族(国王)か、出雲の国で信じられていた神様のどちらかではないでしょうか。天孫降臨や国譲りが全く嘘かと言えばそうではなく、神武天皇より後の世代にモデルとなる事象があったのでしょう。神武天皇と欠史八代を無視すれば実在の可能性が高いのは崇神天皇です。彼は垂仁天皇の一世代前で「崇」(たたり)の名前を持つ天皇です。そうだとすると崇神天皇がニニギなのではないか。大胆すぎますか?

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崇神天皇が最初の天皇だったという説は多くの人に信じられています。彼の時代にヤマトは強大な勢力を持っています。急に強大になるわけがないので、彼の先人が何人か奈良盆地の支配を固めるために苦労したはずですからどこから「天皇」と名乗ったのかはわかりません。崇神天皇は日本征伐に乗り出しています。同時期に疫病と「オオモノヌシ」、大神神社の逸話があります。オオモノヌシはオオクニヌシと同一視される場合があります。また彼の時代は邪馬台国の時代に合致するという説もありますし、ヤマトタケルの先祖であり、卑弥呼と噂される神宮皇后の先祖でもあります。そして彼の次の代である垂仁天皇が出雲大社を作るわけですが、崇神天皇の時代に建設が始まっていてもおかしくありません。まとめれば彼は大きく勢力を伸ばした(多分中国までに知れ渡る)偉大な天皇であり、たたりと戦った天皇でもあるのです。

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想像にすぎませんが、次の順であればすっきりします。(1)九州から天皇家が奈良に移動(2)崇神天皇かその親の世代が日本制覇に乗り出し、最も難敵である出雲を倒す。(熊襲はまだ制圧できていない)。(3)疫病が流行り出雲のたたりと信じられる(4)崇神天皇が奈良にオオモノヌシを祀って大神神社を建て、出雲にオオクニヌシを祀って出雲大社を建てる。この二神は出雲の同一神。(5)崇神天皇の名前が彼の死後に「崇りを持った天皇」として与えられる。

 そう考えればニニギの天孫降臨や国譲りは崇神天皇と出雲の争いをオリジナルに作成した物語と考えてもおかしくないような気がします。

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