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2013年3月 5日 (火)

首都立地

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豊臣秀吉が大阪に、徳川家康が東京に首都機能をつくるまで、日本で広い平野部に首都ができたことはありません。正確には難波宮がありますが、短期間しか使われていません。首都は奈良と京都という盆地でした。これは天然の要害として山地に囲まれている事が理由でしょう。奈良時代や平安時代は国が軍隊を持っていませんから、山地が精神的な防衛線でした。

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鎌倉時代は鎌倉に首都機能が移りましたが、地形図で見ても鎌倉は面積として狭すぎます。首都が京都に戻ったのは当然と言えるでしょう。首都が大阪や東京(江戸)に遷った大きな一つの理由は「鉄砲」の存在でした。高低差や地形の優位性を無視した飛び道具の存在が平城を増やしました。首都人口の増加に伴い、巨大人口を養える大きな平野が必要となりました。明治維新で京都に戻らず天皇家が遷都したのは当然の成り行きです。京都はすでに狭すぎました。明治維新で江戸を焼き払わなかったことは大きな利益でした。もし東京が焼き払われていれば、イギリスやフランスなどが国力の弱った日本を植民地化したかもしれません。

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問題は「天皇家の前の日本」つまり出雲の存在です。出雲平野は巨大な平野でした。日本海側に瀬戸内海という海運に優れた海もなければ山地もない首都としてはかなり危険な場所です。きっと強力な兵力を持っていたのでしょう。その出雲政府と天皇家の関係「国譲り伝説」については知りようがない謎ですが興味が大きいところです。

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出雲という平野が戦略上不利であり、敗戦の原因となった可能性はぬぐえません。

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