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2012年4月23日 (月)

平安遷都と結界 その2「京都植物園」

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北野天満宮は903年の菅原道真公を鎮魂するため建てられました。日本に初めて「祟り」という思考が生まれたのはこの時…という歴史的正論に真っ向から反対するのが「逆説の日本史」です。先日私が小雨男だと語りました。これは単に偶然です。しかしそれでも自分が悪いような気がしてきます。不幸が続けば誰かのせいにしたくなる、特に不幸にして亡くなられた権力者による祟りだという「祟り」という恐怖心はずっと昔からあったはずです。卑弥呼の時代、いえもっと前から。

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天皇家の家系図は天皇になった人の系譜です。天皇になれなかった人たちは系譜から漏れます。文章などには残りませんが人の心に残ります。確かに歴史が残っていない以上「想像にすぎない、出典が無い」という歴史家は正しいです。そして歴史書に書かれていない正しい事実を知ったところで私達の生活に何の変化もありません。ただ「わずか80年で巨大な平城京が平安京に遷都し、その周りに結界と感じられる神社や仏閣が配置されたのか」、私は算数の問題を解くのと同じで納得がしたいだけなのです。それは自己満足で十分なのです。

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以前、上賀茂神社や下鴨神社が風水というより本来の軍事的な防衛線ではないかと考えました。事実その一つである比叡山は僧兵の本拠地となりました。では京都の南はどうか、つまり奈良に残してきた祟りを封印する存在はないのか。京都の南にはもう一つかつての官幣大社があります。膨大な結界…鳥居の数で知られる伏見稲荷です。その線上には奈良があるのです。あれだけの数の鳥居を置いたのだからよっぽど畏れていたのではないでしょうか。

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学問となっている風水と違って祟りは時代と共に忘れられます。歴史上最大の祟り神、菅原道真は教育の神となりました。彼の肖像画の写真を撮影している人を見て私は驚いたのですが、今は私が驚いたことに不思議だと感じる人の方が多いはずです。庶民の神様である伏見稲荷がかつて封印を目的としていたとしても今は忘れられていて当然です。歴史書には残っていないので史実ではないですし、私が単に納得するためだけの自己満足的持論です。まだ続きます。

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コメント

どれもすごく 綺麗な良い写真ですね~(^^)

祟りって 今より昔のほうが怖いってイメージがあります(^^;

科学のおかげで祟りは怖くなりましたね。それでも神社などに藁人形が刺さっていたりすると怖いですよね。科学的に考えれば怖がる必要なんて全くないのですが。

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